上越市板倉区の「ゑしんの里記念館」で、
表題が行われていると句会のお仲間の方からお聞きして、
行ってまいりました。朴斎とは現在の有恒高校、
当時の有恒学舎を作った増村朴斎先生の事です。
朴斎先生も川上善兵衛さんと同じ年の生まれで、
同様に私財を投げ打って有恒学舎をお作りになりました。
【増村朴斎先生】
当時の校額「有恒学舎」は、勝海舟先生の揮毫、
「西の松下村塾、東の有恒学舎」と言われていたそうです。
岩の原葡萄園の創業者、川上善兵衛さんは
メンデルの法則を使って人工交配していましたが、
参考にしたのが、現在の上越市板倉区出身の
見波定治が書いた遺伝学の本。
(メンデルの法則が世に出たのは1910年)
先日の川上善兵衛生誕150周年記念の基調講演、
桑原圭司先生の研究によると、見波定治は有恒学舎で学び、
朴斎先生の教え(三綱領五学規)を受け、東大に進んで
残るように言われたのを断って、地元に帰ったそうです。
「2人は当時、出会っていたんではないか」との事です。
脱線は以上です。
朴斎先生と交流のあった恩師・誌友の方々の作品です。
93歳の方がお書きになった作品もありましたが、
物凄い勢いを感じました。立姿で書かれたものと思われます。
なんと5人の方が寄せ書きしている作品もありました。
絵も添えられていますね。大変なお宝だそうです。
こちらは、勝海舟先生が現在の板倉区稲増
N蔵氏に贈った書。
落款を拡大してみました。
会津八一が書いた先生方の似顔絵…
八一翁は、有恒で英語を教えていました。
自身の似顔絵は、右から4人目。朴斎先生は一番右です。
【増村朴斎先生】
遺墨展は9/17まで。9時~17時までです。
その有恒高校が、存続の危機に瀕しています
「有恒高校の在り方を考える会」の主催で、
9/15(土)14:00~16:00、ゑしんの里記念館で
地域教育講演会が開かれます。(入場無料)
大正大学教授の浦崎太郎氏が
「地方における学校と地域連携の在り方について」(仮)と題し
講演します
林田